私の守護霊さんは、
それはそれはすんごい守護霊さんです。
これ、うちの子自慢に属するから、「俺、得」ネタが以下、ず~っと続きます。
私は「思い立ったが吉日女」と自分のことを言い習わしています。
計画性など、ほぼありません。
計画できないというのが本当のところで、
たとえ計画したとしてもその通り実行できないのです。
スピーチの原稿などがそのいい例で、
その通り話せたことはまずありません。(読めばいいだけなのに……)
そんな私ですが、守護霊さんがすごく良く出来た守護霊さんなので、
今まで、何一つ裏目に出たことがありません。
そのときは「どんな罰ゲーム?」みたいなことがあったとしても、
長い目で見れば「よかった~」って思えることばかりです。
今日は隣の市(電車で1時間ぐらい:笑)のバプテスト教会に、
うちの職場にいるジャマイカンスタッフに誘われて行ってきました。
日曜礼拝に参加しました。
礼拝の中身については、ちょうど今、陽明学のことをあれこれ勉強しているせいもあって、聖書の解釈の方法がなるほどな、と思う点がありました。
これ、もし、陽明学を勉強してなかったら、今日のお話をそういう視点から見ることが出来なかったことでしょう。タイミングがいいです。
この日のために陽明学を学び始めたわけではないですが、
上手に物事がリンクするように、勉強のタイミングやお誘いの日程をものの見事に調整している守護霊さんの仕事、すごいと思わざるを得ません!
実はこの先があって、
6年前に少しの期間一緒に仕事をしたアメリカンスタッフに
6年ぶりに再会したのです!
しかも彼は今日から生活拠点を他県に移して、違う仕事を始めることになっていました。
なんという偶然!
もし、私がこの教会に今日、行っていなければ、彼と再会することもなく、
一生あうこともできなかったでしょう。
彼は、私の中で特別な人でした。
彼は、私の人生の中で、唯一
ジョージオーウェルの「1984年」を「知ってる♪」と答えた人類なのです。
私は未だ、その作品を知っている人に出会ったことがありません。
まあ、私がその本に出会ったのも、研究室の中で
唯一、私だけがある単位を落とした、いわばイレギュラーのおかげなのです。
守護霊さん、ありがとう!とここでも言わねばなりません。
たくさんの偶然が起こり、でも、そのタイミングの良さは全て守護霊さんが必死で計算して、たくさんたくさん布石をまいて……涙ぐましい配慮で起こしているのです。
感謝しかありません。
クリスチャンは神に感謝するのですね。
でも、私は私の守護霊さんに感謝しています。
見えてはいけないものが見えるというおじさん(故人)が
「あんたにはお姫さんの守護霊がついてるから、幸せになれるよ。」
と言っていたのを思い出します。
「背後霊というのは誰にでもついている。どこの誰か分からない人がついている。
でも、守護霊というのはついている人とついていない人がいる。
特にあんたの守護霊は強いよ。」
信じるものは救われます(笑)。
私は救われてます。