サイ子の徒然

日々の暮らしの中で感じることなど……

課題とレディネスの関係

バイクに限らず、
勉強やお稽古ものに共通すること。

識閾下で本能的に「出来るんじゃないか」と思えることに対しては
取り組むことが出来る。
だが、「無理」と感じていることに対しては
取り組むことすらできない。

自分の場合に置き換えて、説明。

免許取得後、ブレーキの練習が必要だった。
だが、ブレーキの練習が出来るほど、
バイクを安定して操作できない。
ゆえに、ブレーキの練習に取り組めなかった。

認識はしていたが、練習できなかった。
私はそれを「練習が地味だから、したくないのだろう」と思っていた。
ちょっと自分に冷たい心でいた。
出来ない出来ないと言いながら練習しないのだから、
勉強できない出来ないと言いながら、勉強しない子どもと同じだ。
傍目にはただの「サボり」だ。

昨日、練習場所と方法を見つけたが、
それは、「ブレーキをかけても今なら多分倒れないだろう」という
それこそ識閾下で自信が付いてきたからだろう。
実際、肝を冷やすほどの変な止まり方はなかった。

自分からやり出す、その時点で、どこかに自信が付いている、
そう思っていいのではないか。
では、自分からやり出さない場合は……
レディネスがなにか足りないのだ。
そこから埋めていくことを考えなければならない。
十把一絡げに「サボり」と言ってしまっては、
可哀想な気がする。

もし、ブレーキの練習になかなか取り組まない私に対して
「simofuさん、本当にやる気、あるの?」
とズバッと言う人がいたら、
私は楽しさを切り捨てて、練習するしかなかっただろう。
「サボっている」訳ではないことを証明するために。

最近旦那が、日に何度も
「バイクは奥が深い」
を連呼する。
いや、私、2ヶ月前から知ってるし(怒)。

バイクは、新しい人生哲学を運んでくれた。
いろいろな意味で感謝。